「無名戦14」を通しての自分の変化

こんにちは、raiiです。

2017年6月に「第14回自称無名BMS作家が物申す!」(無名戦14)というBMSイベントで作品を出しました。 それをきっかけにTwitterで多くの人と交流が増えました。 しかし、それ以前はTwitterでは交流が全くありませんでした。

僕は人と話すことが苦手で、友達作りがうまくいかず、ネットで何かを書き込むことさえ怖がっていていました。 これは自分の人生の中でとても大きな悩みでした。 このため、自分は仲間を作るようなことはできないだろうと思っていましたが、 このイベントを通して仲間を作ることができました。 その経緯をこの記事で書いていきます。

この記事を通して、僕がどのような人間か知ってもらったり、 あるいは同じような悩みを持つ人の参考になったりすれば幸いです。

小・中学校時代

自分が話すことが苦手であることは遅くとも小学1年生の頃には自覚していました。 このために学校では仲の良い友達が少なかったです。 人と話すときには会話が続かず、どうすれば会話を盛り上げられるかが分かりませんでした。 自分から積極的に話しかけるということが苦手で、 友達の家で遊ぶということなどは誘われないとできませんでした。

小学校の頃は、周りに自分のような性格の大人が一人もいないので、 大人になるにつれて自然と話せるようになるものだと思っていました。 しかし、中学3年の頃、一生この性格は治らないのではないかと思い、 自分に他の人間に比べて劣等感を感じ始めました。 カウンセラーの方に相談していましたが、問題は解決しませんでした。 この頃から自分はこの性格による将来への不安を抱くようになりました。

小学5年生の頃にゲームを作りたいと思い、プログラミングを勉強しました。 HSPという言語でプログラミングを始め、 中学の頃にはC++を使い始めました。 プログラムを自分が思う通りの動作をさせるように書くことは楽しく、 プログラミングを続けていました。 しかし、完成させられたのは小さなプログラムが多く、 ゲームを一本完成させるためのモチベーションはなかなか続きませんでした。

高校時代

高校で初めて地元の町を離れた学校に行きました。 高校では知り合いはいませんでしたが、話しかけてくれた人がいて、 その人と仲良くなり、一緒にカラオケやゲーセンに行くこともありました。 しかし、自分が話すことが苦手なのは変わらず、 クラスが分かれると次第に会うことが少なくなりました。

同級生で、同じくプログラミングをやっている人に話しかけられることがありました。 しかし、同じ話題でも会話の盛り上げ方がわからずうまく話せませんでした。 次第に話すことが少なくなっていき、仲良くなることができませんでした。 趣味が同じでも、会話する能力がなければ友達になることができないんだと感じました。

高3の頃にリフレクビート(iOS版)をやってみて、音ゲーに興味が出始めました。 そこで音ゲーの曲を動画サイトで聴きあさっているうちに音ゲーが好きになり、 アーケード版のリフレクビートをプレイするようになりました。 そこからbeatmaniaIIDXBMSにも興味を持ち始めて始めました。 これは最初の頃は本当に難しくてできなかったのですが、練習するにつれて上達することが楽しくてプレイし続けていました。

大学への入学後

2013年4月に大学に入学しました。 大学に入って最初の頃、入学者の交流会に参加しました。 そのとき、自分以外が盛り上がって会話していて、 自分だけが話していないという状況になって、 自分にとても劣等感を感じました。 一緒にゲーム制作をしたいと思って コンピュータ系の部活に入ろうとしても、 同じような状況になり、居心地の悪さを感じて 部活には入りませんでした。 大学では特に仲の良い友達を作ることはできませんでした。 普通に話すことのできる人のように話そうとすると、 汗が出て手が震えるくらい緊張してとても疲れるので、 このように話し続けることは本当に難しいと思いました。

Twitterは大学に入学したあたりで始めましたが、 Twitterに書き込むことに抵抗がありました。 自分の書き込みが変なものでないか、 誰かにメッセージを送られたときにちゃんとした返事を書けるかなどが不安でした。 また、フォローしたときに挨拶をするべきかどうか、 その時はどのような挨拶をすべきかなどが分かりませんでした。 ネットで自分から誰かに話しかけるということは怖くてできないと思っていました。 このような性格なので、自分はネット上でも友達は できないだろうと考えていました。

DTMについて

DTMは大学に入る少し前から本格的に始めました。 耳コピした曲の打ち込みなどは中学から少しやっていたのですが、 オリジナルの曲を作ったりDAWでシンセを使うことは初めてでした。

大学で相談していたカウンセラーの方は、昔はバンドやDTMをやっていました。 自己紹介としてDTMについて少し書いていたら、そこから話が広がりました。 そこで、自分の曲を聴いてみたいと言われたので、次に持っていって聴かせたら、 予想以上のクオリティだと言われたのが嬉しくて自信になりました。

しかし、どうしても曲が完成させられないということが多かったです。 一部のメロディを自然にできなかったり、アレンジが思いつかなかったりして、 そこから制作が進まなくなり、未完成のままになる曲が多かったです。 DTMは数か月ごとにやるくらいで、それほど身を入れてやっていませんでした。

自分の作品をネットに投稿するということを怖がっていましたが、 SoundCloudに初めて投稿したことが自分にとってはとても大きな一歩でした。 2015年の内に完成させるという目標を立てていたので、何とか完成でき、2015年の大晦日に投稿しました。 2015年3月にそのカウンセラーの方が他の大学に行ったので、 メールでSoundCloudのアドレスを教えて聴いてもらいました。 SoundCloudに投稿したのはその方に聴かせるためというのが大きかったです。 カウンセラーの方は曲を褒めてくれましたが、 自分の曲への不安はまだありました。 実際はほとんど誰も聴いてなかったのですが、当時は自分の作品が変だと思われているのではないかと心配で、 投稿したのを後悔していた時もありました。

無名戦の曲制作

BMSイベントで作品を出したいと思っていました。 そこで、BMS作者としてデビューすることが多い 無名戦に出たいと思っていました。 しかし、今までは自分の曲に自信がありませんでした。 他の人と違って、一緒にDTMをする仲間がいなくて、 自分の曲がどんな評価を受けるのか分かりませんでした。

2017年4月に大学院に進学し、学生なのもあと2年なので 今ここでBMSを出せなければもう出す機会はないだろうと思い、 今年こそは無名戦に参加したいと思いました。 制作中は曲を完成させられるかどうかが本当に分かりませんでした。 制作期間はだいたい3週間くらいでしたが、一気に完成度が上がったのは登録最終日までの最後の3日間でした。 それまでは構成とコード進行と一部のメロディぐらいしかできていませんでした。

この曲の曲名は「Unstalemate」ですが、これは「行き詰まり」という意味の「Stalemate」に否定の「Un」をつけました。 今までのこのような状況を変えるような曲になったらいいなという思いからこの曲名をつけました。

何とか登録締切までに完成させることができ、作品を登録しました。 締切までに完成できるかどうか分からず、ネット上で誰かに話しかけたことが一度も無かったため、参加表明はしませんでした。 Twitterで交流している人もいなくて、DTMも身を入れてやっていないので自信がなく、あまり注目されずに終わると思っていました。

無名戦に作品を出した後

無名戦に作品を出した後はTwitterで検索して反応してくれているか調べました。 そこで他の参加者の方で自分の曲が好きだと言ってくれている方を見つけて、 本当に嬉しかったです。 今までは、ネットに上げても曲を聴いてもらえず このように感想をもらえることがありませんでした。

今までTwitterで交流したことがなかったので、 フォローしてもいいかどうかわかりませんでした。 そこで、他の参加者の方がフォローしてくださったのが助かりました。 フォローしたときに挨拶するかどうかは自由で、 興味があれば自由にフォローしてよいということがわかりました。 また、フォローする人が増えるとTLを見るようになりました。 直接話しかけなくても、TLの同じ話題でツイートすれば、 その話題で盛り上がることができます。 また、ツイートを気に入ったり同感したりするとき「いいね」を送ることで、 話しかけることをしなくても相手にその気持ちを伝えられることができます。 いままでネットで誰かと話したことのない自分でも そういったコミュニケーションができることが新鮮でした。

無名戦ではたくさんの方からインプレをもらいました。 今まではこのようにたくさんの人に自分の曲を聴いて感想をもらえることが なかったのですごく嬉しかったです。 無名戦の曲の順位は68曲中10位でした。 自分の曲にあまり自信がなかったので こんなに高順位になるとは思いもせず、とても嬉しかったです。

その後

無名戦の後は「BMS衆議院選」というBMSイベントに出ました。 そこで、グラディウス風のチップチューンを作りました。 以前からこのようなものを作りたいと思っていましたが、 今まで曲を完成させられなかったことが多いので、 完成できるかどうかが不安でした。 そこで曲を完成させて出すことができたというのが自信になりました。

その後はBOFU2017に出場しました。 BOFU2017はチーム制で、2人以上でチームを組んで2~4曲を提出する必要があります。 6月半ばあたりにBOFUの曲の構想を思いついて、 その時は映像作家さんの知り合いがいないということをツイートしていました。 チームに入ってBOFUに出場できるかが分からなくて、 出場できたとしても、この構想に映像は必須だと思うので、 本当に構想通りのことができるとは思いませんでした。 しかし、映像作家の方がそのツイートを見てくれて、映像を作りたいと話しかけてくれて、本当に助かりました。 また、チームを作るために他のBMS作者の方に声を掛けました。 今までは消極的で自分でチームを作るということは考えられませんでした。 今まではネットで誰かと話したことがほとんどなかったので、 自分がネットでは普通に会話できていることに自分でも驚きました。 こうして構想を実現できて本当に嬉しかったです。

他にも、他の無名戦の参加者の方と合作をしたり、 他の参加者の方とオフ会をしたりしました。 自分がこのようにネット上で知り合った人と一緒に何かをすることは 今まではできないだろうと思っていました。

おわりに

今までは自分にはこのような仲間ができることはないだろうと思っていましたが、 無名戦14がきっかけで仲間ができて本当に嬉しいです。 BMSイベントを主催してくださった方々、曲を聴いたりBMSをプレイしたりしてくださった方々、作品制作に協力してくださった方々、Twitterで仲良くさせてもらっている方々などには本当に感謝しています。